淡山疎水は、淡河川疎水と山田川疎水のふたつの疎水をあわせたものです。
農林水産省による疏水百選にも選ばれている、神戸市を代表する名水としても有名です。
この記事では、神戸市の淡山疎水が、なぜ名水と呼ばれるようになったのかについて解説します。
印南野台地の村人を水不足から救った淡山疎水の歴史についての知識を深めましょう。
淡山疎水(神戸市)が名水と呼ばれる歴史について
淡山疎水とは、神戸市北区淡河町木津の淡河頭首工から、神戸市西区神出町の練部屋分水までの延長が26.3キロメートルの「淡河疎水」と、神戸市北区山田町の取入堰から「淡河疏水」幹線の宮の谷池までの延長11キロメートルの「山田川疏水」をあわせたものです。
淡山疎水は、印南野台地へ農業用水を確保するために計画され、つくられました。
淡山疎水は、延長が26.3キロメートル、隧道が28ヶ所もある大規模な疎水であり、日本の農業を支えた代表的な用水を選定する、疏水百選にも選ばれています。
淡山疎水の橋や隧道には、兵庫県三木市にある水路橋の御坂サイフォン橋や、近代土木遺産2,800選にも選ばれている平木橋、石造りレンガ積みが特徴的な掌中橋や、芥子山隧道があります。
淡山疎水(神戸市)の名水は印南野台地への農業用水
淡山疎水があるのは、瀬戸内海に面した印南野台地です。
この印南野台地は、昔から水に恵まれない地域であり、当時の人々は林を切り開いたり、ため池などにかんがい用水を貯めたりと工夫しながら農耕を行なっていました。
印南野台地は、畑作を中心に農業を行なっていましたが、米作への転換を機に、新しい農業水利が必要になりました。
そのため、印南野台地の水不足を解消するための計画がはじまります。
明治21年になると、淡河村木津の淡河川から、全延長26.3㎞の「淡河疏水」の工事が開始されました。
隧道28ヶ所(延長5.2キロメートル)は、かなり大掛かりな工事だったそうです。
そのなかでも、延長682メートルの「芥子山隧道」は、土質がもろく、湧水が非常に多く、一日中工事をしてもわずか60センチほどしか工事が進みませんでした。
このような難工事続きにより、「淡河疏水」の完工には、3年4ヶ月の月日がかかっています。
明治24年4月には、難しい工事だった「芥子隧道」も完了し、その翌年には、疎水により新田が潤うようになりました。
明治25年7月には、激しい豪雨に見舞われてしまいます。
この豪雨により、築堤は崩壊し、隧道は陥没してしまい、甚大な被害をもたらしましたが、明治27年5月には、「淡河疎水」全線が無事に復旧しています。
「淡河疏水」が成功をおさめたことにより、開田範囲が広がり、難工事のため、見送りされていた「山田川疏水」の計画が再び開始されました。
そして明治44年には、神戸市北区の山田川からの疏水工事に入り、大正4年に完成を遂げています。
「淡河疎水」と「山田川疎水」をあわせた「淡山疎水」は、現在2,500ヘクタールの農地に通水を行なっています。
まとめ
神戸市の淡山疎水は、印南野台地の米作農業を支える重要な役割を果たしています。
珍しいレンガ造りの箇所もあるため、当時の歴史に触れることもできます。
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