2017年、神戸市の路面電車開通100周年を記念して、「市営交通100周年懐かしの写真パネル展」が開催されました。
会場には多くのファンが訪れ、レトロな市電の雄姿をなつかしみました。
港町・神戸を運行した路面電車は、時代の波に乗り一気に拡大し、黄金期を迎えました。
ピーク時には1日40万人の利用があり「東洋一の市電」と称されましたが、自動車社会の到来により廃線の流れへと進んでいきました。
戦前戦後の激動の時代を駆け抜けた神戸市交通局の歴史をご紹介します。
神戸市交通局のあゆみ・創設からの紆余曲折
明治元年の開港以来、国際港として発展を続けていた神戸。
たくさんの外国人が居留していたにもかかわらず、交通網は非常に脆弱でした。
交通網の拡充を望む声は多く、時間はかかりましたが1902(明治35)年、民間の有志により神戸電気鉄道が設立され、初めて電車が登場します。
さらにそれから8年後の1910(明治43)年、兵庫駅前~春日野間が開通しました。
市民にとって路面電車の評判は上々で、周囲の街並みや施設を整備する契機となり、街の風景も大きく変わりました。
さらに大正に入り、神戸電燈と合併して「神戸電気」と改称した神戸電気鉄道は、1917(大正6)年、神戸市が主体となり運営する「神戸市営電車」として再スタートすることとなりました。
神戸市はさらに10年かけて運賃改正や未整備だった路線建設を行い、1927(昭和2)年ようやく全線を開通させました。
またこの時期、日本で初めて鋼鉄製の「スチールカー」が投入されましたが、この頃から、昭和不況や太平洋戦争、神戸を襲った大規模水害など、不幸な状況が相次いで起こりました。
黄金期・そして時代の流れとともに廃線へ
しかし、戦後になると焼け野原になったところから線路や架線の修復が急ピッチで進められ、翌年には疎開先から戻る人たちが市電にあふれ、輸送量が急増しました。
そして、1954(昭和29)年には、アメリカの会社によって開発された「PCCカー」がデビューを果たし、新時代の幕開けとなりました。
その後も神戸市民の足として活躍し、「神戸まつり」の前身「みなとまつり」では、電飾を施した花電車が走るなど、熱気あふれる神戸を彩りました。
しかし、モータリゼーションの影響を受け、次第に乗客数が下降に転じ、地下鉄の推進とともに続々と路線が廃止され、1971(昭和46)年、神戸市電は惜しまれながらも、静かに歴史の幕を下ろしました。
ほのぼのとした温かい雰囲気を醸し出し、今も懐かしむ声が多い路面電車。
神戸市電を彩ったグリーンとクリームのツートンカラーは、現在の神戸市営地下鉄に引き継がれています。
また、路面電車はCO2排出の少ない交通機関としても注目され、全国でも路面電車の見直しの気運が高まっています。
まとめ
今回は神戸市の路面電車についてご紹介させていただきましたが、LRT(Light Rail Transit:次世代型路面電車)の人気が高まり、神戸でもLRTを望む声があります。
今後どのように変わっていくかはわかりませんが、神戸市の歴史を彩った路面電車に感謝し、いい街づくりを期待したいものですね。
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